アレックス・ランドルフとの仕事は、いつも大きな喜びでした。ニュルンベルク・シュピールヴァーレンメッセやエッセン・シュピールで会うと、彼はいつも新しいゲームの試作品を持っていました。試作品は通常、全く目立たないような小さな箱に詰め込まれていましたが、ゲームアイデアは完全に作り込まれていました。アートワークはイメージであることが多かったですが、用具はよく考えられ、完成されていました。ゲームの名前は、いつもゲームアイデアにぴったりで、同時に議論の余地がありました。アレックスはゲームのアートワークに関する提案やアイデアを積極的に聴いてくれました……。
例えば『チャオチャオ』は、原案ではアレックスが「ため息橋(Ponte dei sospiri)」と呼んでいました。ヴェネツィアのため息橋は、ドゥカーレ宮殿から直接、悪名高い新監獄に通じています。橋を渡る途中、囚人たちは大理石の窓から、水平線上に最後の日光を見ることができたのです。
しかし、このテーマではあまりに重苦しいので、アレックスには、肉食植物が生い茂る沼にかかる滑りやすいおんぼろ橋を提案しました。彼はそのアイデアをすぐに気に入ってくれて、2002年にドライマギア社から小箱で発売しました。箱の底は沼になっていて、その上に苔むした「板橋」が架けられているのです。ゴール地点の階段では、沼に落ちないで危険な旅を乗り越えた英雄たちに、優しい花々が頭を下げています。主役は特殊ダイスが入った黒いダイスカップで、カップから飛び出さないようになっています。これが手に汗握るブラフゲームの秘密の核心でした……。
ドライマギア、2009年版
ドライマギア、2002年版
これはドライマギア社のロゴが入った『チャオチャオ』初版(2002年)の写真です。2008年に我々はドライマギア社のレーベルを、販売パートナーであるシュミット・シュピーレ(ベルリン)に売却しました。2007年、私は大病を患いましたが、ブランドを売却することで、無事に回復できました。次のレーベル「ドライハーゼン・インデア・アーベントゾンネ」が当初うまく行かなかったのは、シュミット社が私たちの絵本プロジェクトに力を貸せなかったからです。書籍業界への進出は良かったのですが、あまり成功しなかったので、2012年に再びゲーム制作を始めることにしました。まあ、まだやり方はわかっていたわけですが……。
その最初のプロジェクトのひとつが、『チャオチャオ』の全面改訂新版でした。このために開発したスリムなゲームコマは、アレックスもきっと気に入ったことでしょう。一種の「起き上がりこぼし」になっていて、重心が低く、頭部が小さいため、従来の木製コマに比べて安定感があるのです。
ヨハン・リュッティンガー
ドライハーゼン・インデア・アーベントゾンネ、2012年版
メビウスゲームズ(日本)、2013年版