COLUMN

ゲームに込められた想い

ニュルンベルク・シュピール・アーカイブの記事を翻訳したものです。


『ガイスター』のプロトタイプ『グッドナイト』

「みなさん、私が仕事を嫌いなことは知っていますね。全くその通り。仕事という概念が嫌いです。でも、活動は全く別物です。好きなことを仕事にしたら、それは仕事とは言えません。」

「ゲーム発明家、それが私の肩書きです。ちょっとおかしくて、ちょっととんちんかんなんだけど気に入っています。人に言うと笑われます。人生ではレッテルが必要で、そうでなければ何者でもありません。でも実際、詩人のことを詩の発明家とは言わないでしょう。」

「人は誰でも自身の内にゲームをもっていると思います。自分自身を刺激するだけで、何かを生み出すことができるのですから。」

「人は誰でも発明できると私は確信しています。発明しようと思い、それを恐れなければの話ですが。子どもなら誰でも発明しているでしょう? 手元に既製品のおもちゃがなければ、必要に応じて何でも別のものにしてしまいます。缶がボールになり、箱が自動車になります。しかし、この創造的な衝動もいつかは切れる時がやって来ます。発明をやめてしまうのです。でも私はやめていません。それで全て説明がつくのではないでしょうか。」

「私は、ゲームをプレイするときも、ゲームをデザインするときも、芸術家や詩人のように、喜びや楽しさが湧いてくるのが好きなんです。明確な目標は、この2つ以外ほとんどありません。」

「チェスやポーカーはすでにあります。私たちにもう新しいゲームは必要ありません。なぜゲームの発明家がいるのかも全くわかりません。全く無駄なことをやっているわけです。でも、それは作曲家・詩人・画家にも言えることです。世界には絵が十分にあるのではないでしょうか。でも、どんどん新しい絵が出てきます。同じ理由で、どんどん新しいゲームが出てくるのです。」

「そもそもゲームの楽しさのひとつは、それが素晴らしく役に立たないことです。ゲームをすること自体、それ以外の目的が全然ないのです。」

「本当に良いゲームには、正確には定義できない何かがあります。愛、喜び、熱意、情熱、献身、人間性など、それを表す言葉が多すぎるからです。」

Deutsches Spielearchiv Nürnberg: Die Philosophie hinter den Spielen
https://museen.nuernberg.de/spielearchiv/sondersammlungen/alexander-randolph-schaudepot/die-philosophie-hinter-den-spielen

出典元:ドイツ・シュピールアーカイブ・ニュルンベルク
(Deutsches Spielearchiv Nürnberg)

研究・資料センターとして、1945年から現在までの3万点を超えるボードゲームのユニークなコレクションを保存しており、「ゲーム業界の記憶」といえる存在となっている。
メインである資料収集に加え、家庭や社会におけるゲームの普及活動も行っている。定期的な午後のゲーム会や館外活動など、数多くのイベントを開催し、文化財としてのボードゲームやボードゲームを遊ぶことを積極的にアピールしている。