COLUMN

日本

アレックス・ランドルフゲームデザイナー

何もかもが予想外だった。すべてが、今まで聞いていたこと、読んでいたこととは正反対だったのだ。でも、その分、面白さも倍増する。もうひとつ予想外だったのは、日本が好きになれなかったことだ。最初から最後の瞬間まで、私は日本が好きではなかった。それなのに、6年間もそこにいたのだ。考えてみれば不思議だと思わないだろうか?
でも、面白かったこと、意外だったこと、楽しかったこと、素晴らしかったこともたくさんある。劇場とか、もっと日常的には裸足で畳を歩くこと、それに毎日のお風呂や台所などなど。
では、なぜ好きになれなかったのか?
最初の瞬間から、私は日本人が幸せでないことに気づいた。本当に全員、国民全員がそうなのだ。その表情を見るだけで十分よくわかった。日本人についてよく言われるジョークのひとつに―確かめずに信じられていることだが―「日本人は何事にも動じない」「感情を表に出さない」というのがある。確かに平静を装うのだが、実は突然無言になり、顔が凍りつく。内心は混乱しているのに、自分の気持ちを裏切っている。でも、実はすごい恥ずかしがり屋なのである。
奉仕したい、服従したい、指示に忠実に従いたいという願い。これは心の底から思っていることだ。何と家畜化された国だろうか! こんなことを言うのはひどいが、本当なのだ。それは権威の結果であり、服従の結果である。天皇に至るヒエラルキー。何を隠そう、この思いは今も強い。
その一例をあげよう。ひとつだけあげて、最後に別の話をしよう。我々はベトナム戦争のとき、現地にいた。私たちは、自らを左翼と呼ぶ「教養ある」人々を知っていたが、我々がアメリカ人として絶対に反対していることを理解できなかった。この戦争は馬鹿げていて、恥ずかしいもので、私たちは負けるだろうと言うと彼らは不快になった。
私は一般論が好きではなく、避けようと思っているが、この件も含め、いつも一般論を使ってしまう。日本はみんなが頑張る国だ。それは本当で、感動的である。彼らの善意は感動的だ。東京のような人口1,300万人、いや2,000万人の都市で、犯罪は皆無に等しいということを考えるだけでいい。危険は感じないし、誰も騙そうとはしてこない。だから、日本は月と同じくらい遠いと言うのだ。
(”Die Sonnenseite”, Drai Hasen in der Abendsonne GmbH, 2012)